子どもの頃、家の前の神社の境内が遊び場だった。
毎日、暗くなるまで遊んでいたが、こうもりがよく飛んでいた。
春の夕方、まわりが黄色に染まる日があった。
空から家から、みえるものがすべてうす黄色に染まり、おどろいてあたりを見回したことを憶えている。
黄色の水底のような街並みが向こうまで、続いていた。
それは黄昏と黄砂のせいだろうが、故郷大分の象徴的な思い出となっている。
当時のことを絵にするときに黄土色をよく使うようになったのはそのためだろう。
黄砂は、東アジアのタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から微粒な砂が飛んでくるもので、ここ数年、とくに増えているらしい(砂漠化の影響か)。
地球温暖化の話や戦闘状態のイラクのことを目や耳にするとき、きいろい砂塵が思い浮かぶのだ。
作品:「きいろいとき」